尾別の歴史・文化財 <3. 近世以降の尾別>

江戸時代初期には、近世尾別村が成立しました。正保2年(1645)弘前藩が製作した領内図の写し「陸奥国津軽郡之絵図(青森県立郷土館蔵)では、尾邊地(尾別)村が湖岸に接して描かれています。津軽三十三観音十四番札所となっている「尾別(弘誓寺)観音堂」は慶安3年(1650)創建とされ、幕末には飛龍大権現を祀る飛龍宮となりましたが、神仏分離令により明治6年(1873)神明宮を分立しました。

<津軽郡絵図>

以後観音堂は廃れましたが、明治43年(1910)再興されました。尾別薬師堂は、江戸後期の記録にも見える鉱泉「薬師湯」に勧請された仏堂です。沿革は不詳ですが、嘉永元年(1848)奉納の俳句奉納額が伝わります。奉納句の俳人たちは湯治客と推定されますが、当時の庶民の風流が偲ばれる貴重な資料です。なお、寄進者に名を連ねる「尾別村米屋重助」は、宮越家の一族とも考えられます。

<尾別薬師堂俳句奉納額>

尾別観音堂裏手にはかつて天台宗解脱山弘誓寺がありました。昭和4年(1929)創建の観音霊場寺を、同19年(1944)同地に移転、同21年(1946)弘誓寺と改称したものですが、現在は廃寺となっています。

 

尾別村は、当初は田舎庄下ノ切遣、後に田舎庄金木組に所属しました。明治5年(1872)第三十九小区、同6年第五大区第九小区、同16年北津軽郡第十九組などを経て、同22年(1889)高根・薄市・今泉各村と合併し、内潟村大字尾別となりました。昭和30年(1955)内潟村が中里町と合併し中里町大字尾別、さらに平成17年(2005)中里町が小泊村と合併した結果、中泊町大字尾別となり現在に至ります。小字として浅井・湯島・井ノ上・胡桃谷・小谷・玉ノ井があります。

TOP

宮越家 離れ/庭園 Miyakoshi House Annex/Garden

青森県中泊町

所有者の許可なくコンテンツまたはその一部を転載することを禁じます。

Reproducing all or any part of the contents is prohibited without the author's permission.

© 2020 Nakadomari Town All Rights Reserved

宮越家 離れ/庭園 大正浪漫かほるステンドグラス
尾別の歴史・文化財 <3. 近世以降の尾別>
Miyakoshi House Annex/Garden