史跡・文学

更新日:2022年04月01日

小説「津軽」の像記念館

石垣の一段上に建てられている、瓦屋根で平家建ての小説「津軽」の像記念館の写真
片膝を立てて腰を下ろしている太宰と、その横で正座して背筋を伸ばしたタケの2体の銅像の写真

太宰治が昭和19年に、新風土記叢書執筆取材のため津軽地方を訪問して名作「津軽」が生まれた。
この作品のクライマックスは太宰の幼年時代の子守りで、育ての親とも言うべき「タケ」との30年ぶりに再会する場面であったといえる。
この場面を小説「津軽」の像に託し「心の安らぎ・築かれた一生・文学探訪」を具現、地域の生活に資することを目的としている。

尾崎神社

木々の中に建つ鳥居と、奥に見えている尾崎神社の写真

日本海に突き出た権現崎の海抜229メートルの断崖絶壁頂上に鎮座する尾崎神社は、平安時代(大同2年807)の建立といわれている。このころ修験者の聖地として山全体が権現としてあがめられ、飛龍大権現を祭神に、脇士に仙薬を求めてきた中国の徐福が、航海の神として祀られ飛龍宮と称した。
明治初年の神仏分離で祭神を伊邪那岐命(いざなぎのみこと)、伊邪那美命(いざなみのみこと)として神号を尾崎神社と改称する。

柴崎神社

山間の中に石碑がある柴崎神社の写真

安藤(東)家三段構えの城の内の背水の陣といわれる。自然の地形を形どり、後ろに大澗という海辺を控えているのが特徴である。
津軽の豪族安東(東)盛季(もりすえ)が南部義政に攻められ、五所川原市(旧市浦村)の福島城、唐川城を捨て、嘉吉3年(1443年)蝦夷地に撤退の際、最後に立ち寄ったのが柴崎城であるといわれている。

猿賀神社

猿賀神社の狛犬の向こうに見えている、屋台や提灯が並んで例大祭が行われている様子の写真

例大祭は、旧暦8月14~15日にかけて行われます。多くの供物などが奉納され参拝者で賑わう。

津軽鉄道終着駅

一面が雪に覆われている景色の中、終着駅に停まっている車両の写真

厳しい冬の津軽半島、車窓には物言わぬ静かな銀世界や素朴な田舎町の風景が流れていく。

この記事に関するお問い合わせ先

青森県北津軽郡中泊町大字中里字紅葉坂209番地
本庁 水産商工観光課
電話番号:0173-57-2111 (代表)
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