史跡・文学
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●小説「津軽」の像記念館太宰治が昭和19年に、新風土記叢書執筆取材のため津軽地方を訪問して名作「津軽」が生まれた。 この作品のクライマックスは太宰の幼年時代の子守りで、育ての親とも言うべき「タケ」との30年ぶりに再会する場面であったといえる。 この場面を小説「津軽」の像に託し「心の安らぎ・築かれた一生・文学探訪」を具現、地域の生活に資することを目的としている。 |
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●尾崎神社日本海に突き出た権現崎の海抜229mの断崖絶壁頂上に鎮座する尾崎神社は、平安時代(大同2年807)の建立といわれている。このころ修験者の聖地として山全体が権現としてあがめられ、飛龍大権現を祭神に、脇士に仙薬を求めてきた中国の徐福が、航海の神として祀られ飛龍宮と称した。 明治初年の神仏分離で祭神を伊邪那岐命(いざなぎのみこと)、伊邪那美命(いざなみのみこと)として神号を尾崎神社と改称する。 |
●柴崎神社安藤(東)家三段構えの城の内の背水の陣といわれる。自然の地形を形どり、後ろに大澗という海辺を控えているのが特徴である。 津軽の豪族安東(東)盛季(もりすえ)が南部義政に攻められ、五所川原市(旧市浦村)の福島城、唐川城を捨て、嘉吉3年(1443年)蝦夷地に撤退の際、最後に立ち寄ったのが柴崎城であるといわれている。 |
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●猿賀神社例大祭は、旧暦8月14~15日にかけて行われます。多くの供物などが奉納され参拝者で賑わう。 |
●津軽鉄道終着駅厳しい冬の津軽半島、車窓には物言わぬ静かな銀世界や素朴な田舎町の風景が流れていく。 | ![]() |

登録日: 2006年2月13日 /
更新日: 2012年1月20日